現在ツール・ド・フランスが開催されています。そしてまもなく東京オリンピックも開催予定です。
こうした国際的かつ大規模なスポーツの祭典で、切ってもきれない問題があります。ドーピングです。
自転車と関連深いドーピング問題
かつて、ロードレースではドーピングが大きな問題となりました。ロードレースの英雄であったランス・アームストロングが、長年ドーピングを行なっていたことが告発され、7連覇という偉業も剥奪されました。
ロードレース業界はこの汚名を返上しようと、ドーピング対策に非常に力を入れています。今やジュニア大会やマスターズの大会でもドーピング検査が実施されるようになりました。
今回は国際アンチドーピング機構の資料を参考に、薬物がどのようにアスリートに作用するかを解説していきます。
常に禁止される物質と方法
このグループに入る薬剤はいかなる時でも使用を禁止されているものです。つまりアスリートが強靭な身体を作るのに役立つ薬物ですね。
この種の薬物は、日本では処方箋がないと手に入らないものなので、ついうっかり飲んでしまったということはまず起きない薬です。
しかし、基礎疾患がある方は、「自分の薬は大丈夫かな?」と心配になるのではないでしょうか。そういった方向けに解説を載せています。ひとつずつ見てみましょう。
S-1 蛋白同化薬 : 男性ホルモン
みなさんがイメージするドーピング薬、ステロイドといえばこの薬を指します。
このステロイド、実は大きなグループの名前で、指す物質は非常に幅が広いのです。
もし読者の方でステロイドを治療として使っている方がいたとしても、ご安心ください。ドーピングにはなりません。我々が医療の現場でステロイド治療薬として使用する場合、多くは「糖質コルチコイド」と呼ばれる種類のステロイドホルモンを使用します。この糖質コルチコイド、筋肉増強作用はなく、むしろ筋肉を分解する作用があります。
この糖質コルチコイドも禁止薬剤に含まれているものの、規定量が定められており、一般の治療でこれを超えることはほぼありません。
一方で、アスリートが使用してメリットがある、ステロイドといえば、蛋白同化薬のことを指します。
蛋白質同化薬(anabolic androgenic steroid, 以下よりAAS)は、一言で言うと男性ホルモンのことです。
男性は女性よりも一般的に骨格筋が強靭です。これは精巣で作られる男性ホルモンであるテストステロンがAASの作用を持つためです。女性でも体内で男性ホルモンであるテストステロンは僅かにですが作られています。
さて、科学者とアスリートは考えます。
「マッチョな男性にこの男性ホルモンを追加投与すれば、よりマッチョな男ができるんじゃね?」
この予想は当たります。この男性ホルモンを投与すれば、超回復で筋肉量が爆発的に増加し、本来の限界を超えて筋肉を発達させることができます。
一方で、容量が増えれば増えるほど副作用も増えてきます。多いものは肝機能障害。ASSの代謝は肝臓で行われるためですね。また有名なものは前立腺癌です。これは前立腺癌が男性ホルモンに刺激されると発症するためではと考えられています。
日本ではまず一般的に手に入らない薬ですが、国外では普通に処方されていたり、通販などで売られていることもあるとか….。
ちなみに、悪者にされがちですが、このASS、臨床現場では体力の落ちた高齢者のリハビリに使用できるのではと期待されています。高齢者は筋肉量が低下しがちですが、このホルモンを使えば再び歩けるようになるのでは?と研究されているお薬です。
S-2 貧血改善薬、成長因子
多くの物質が当てはまりますが、ここではエリスロポエチン(EPO)と成長ホルモン(GF)について触れます。
エリスロポエチン(EPO)は、赤血球の数を増やす作用があります。医療の現場では、特殊な貧血の治療に用いられるホルモン製剤です。貧血治療薬といっても、一般的な鉄欠乏性貧血とは機序が違うこと、また注射薬ですので、まず処方されることはないお薬です。
赤血球の働きは、酸素を運搬することです。特に持久系競技において、酸素運搬能力は競技の成績に直結します。赤血球の数が増えれば、その分酸素運搬量も増えるので、持久系競技の成績向上が期待できます。逆に言うと貧血状態では酸素運搬能力が下がるために成績が悪化します。
EPOと同様な効果を狙い、一旦自分の血液を抜いて保存しておき、競技直前に輸血する「自己血輸血法」も、赤血球を増やすことができ、競技力向上が起きます。これも立派なドーピングです。
赤血球を増やすことで起きる副作用は、「血管が詰まりやすくなる」ことです。赤血球の数が増えると、血管の中で渋滞が起きてしまい、最悪の場合は脳梗塞や肺塞栓症などの致命的な疾患をきたす場合もあります。
成長ホルモンも男性ホルモンと同様に身体を大きくする作用がありますが、こちらは筋肉だけでなく身体全体を大きく作用が強いです。子供の成長期は、筋肉だけでなく、骨や臓器も大きくなりますが、それはこの成長ホルモンが作用しているからです。
成長ホルモンは小児や大人の慢性疾患で治療薬として稀に使用されるお薬です。こちらも医師の診断があればアスリートでも使用可能なものです。
S-3 喘息治療薬 : β2作用薬
心臓の拍出を強化する作用があります。つまり心臓強化薬です。
このお薬、気管支喘息の治療薬として吸入薬に入っている場合があります。この場合も、規定の使用量を超えなければ違反にはなりませんし、一般的な使用量で超えることはまずありません。
S-4 女性ホルモン治療薬
女性ホルモンを抑える作用の薬のことです。
先程の男性ホルモンと対照的に、女性ホルモンは筋肉増強を抑え、脂肪をつける作用があります。この女性ホルモンの働きを抑えることで、脂肪の少なく、筋肉の多い身体を作ろうと目指したものです。これらも婦人系の疾患で使われるものです。
女性が服用する低用量ピルはこの分類に入りませんので、女性アスリートは安心してお飲みください。
S-5 利尿薬および隠蔽薬
上述の禁止薬物を検査するには、尿検査と血液検査を実施します。しかし利尿薬と呼ばれる、尿を大量に作り出す薬剤を飲むと、この検査を隠蔽することが可能になるため、これも禁止されています。
高齢者の心疾患や腎臓病に使用されることが多いですが、若年者での使用は稀です。
以上が常時使用を禁止されている薬剤になります。
上述のアームストロングは、これらの薬剤をほぼ全て使用したと言われています。ただ、これらの薬剤はあくまでトレーニングの効果を増強させるものですし、かなりの副作用を伴います。
アームストロング以外の人が同様のドーピングに手を染めても、彼のように7連覇などできたであろうか…という個人的な疑問は残ります。彼ほどの才能があれば、ドーピングせずとも勝てたのではないでしょうか。そして、過酷な副作用があってもドーピングをやめられなかった、それだけ彼に勝利へのプレッシャーをかけていた業界側にも問題はあったのだろうとも想像されます。
競技会(時)に禁止される物質と方法
競技のパフォーマンスを一時的にあげる作用があるため、禁止されているグループです。
このカテゴリーに入る薬剤には、市販で購入できるものもあるので注意が必要です。
S-6 興奮薬
大麻、コカイン、覚醒剤などの日本では違法ドラッグとされているものがここに含まれます。
さて、ここでアスリートが注意すべき物質があります。それはエフェドリンです。
エフェドリンも交感神経興奮剤の一種なのですが、このお薬は、葛根湯や麻黄湯などの漢方薬、市販の総合感冒薬などに含まれているものなのです。
ニュースで「飲んでいた風邪薬でドーピングに」と聞いたことはありませんか?その場合このケースがほとんどでしょう。
エフェドリンが競技に作用するほどの容量を摂取するには、市販の風邪薬を大量に飲まざるを得ません。一般的な風邪薬の量を飲んだとしても、競技パフォーマンスの向上は認められないでしょう。
しかし、使用禁止薬剤には変わりありません。わずかでも検出されてしまえばドーピングとなってしまいます。アスリートは注意が必要です。
さて、この興奮剤のグループに、みんな大好きカフェインも入っていました。過去の記事でも解説しましたが、カフェインはお手軽神経興奮剤なので、パフォーマンス向上作用があります。
しかし、カフェインを含む食品は嗜好品として普及しており、これを制限することは難しいと判断され、2016年に撤廃されました。
アンチ・ドーピングはアスリートの倫理観が必須
さて、この記事では現在見つかっているドーピングについてご紹介しました。ご紹介した通り、多くの処方薬でも医師の診断があれば使用は問題ありません。
しかし、医師と共謀すればこういった処方箋薬を悪用することは可能です。また現代のバイオエンジニアリングの技術を用いれば、検査に引っかからないドーピングをすることも技術的には可能です。
つまるところ、アンチ・ドーピングに一番必要なのは、それを利用しないアスリート側の倫理観です。
参照:日本アンチドーピング機構https://www.playtruejapan.org/code/provision/2021codeis.html
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